目に見える世界を変えよう。

こんにちは、nkyutです。

 

今回は、企画の立案及び実行を担うフロント部門と、彼らや会社を陰に日向に支えるバックオフィス部門の関係性について述べます。

 

お互いに毛嫌いする間柄では得しない

 

当然、会社としては両者共に「ステークホルダーの利益」の為に動いています。

しかし、どういうわけか両者の関係があまり宜しくないという会社の話は、ままある事のようです。

そして、足の引っ張り合いをし出すので。意図的であるにせよ、意図的でないにせよ。

 

つまり、フロント部門からするとバックオフィス部門は何かをする際の障壁になると考える。

逆に、バックオフィス部門からすると何も知らない無知なフロント部門がまた訳のわからない動きをしていると考えてしまうのです。

こうなってしまうと、もうお互いが邪魔な存在のようにしか見えなくなります。

 

本来ならば、フロント部門は専門部隊であるバックオフィスに協力を仰ぐ必要があります。

また、バックオフィス部門もお客様へ直接価値提供する事のできるフロント部門をサポートするという、至極当たり前な関係であるべきです。

 

それなのに、どうしてこういう「邪魔者」的な考えになるのか不思議で仕方ない人もきっといるかと思います。

しかし、実際にヒアリングをすると、このような「邪魔者」的な考えを持っている人も少なくはない数存在しています。

 

無知の知を使って自分の世界を拡げよう

 

そして、そういった彼らに共通して足りていないことがあります。

 

それは、自分と異なる職務に就いている相談相手です。

つまり、彼らは基本的に狭い枠組みの中でしか物事を判断しないのです。

その為、狭い了見の中で物事を考えるので、自身と異なる意見を異物として排除しようと試みます。

そういった環境の中にいると、どんどんどんどん世界が縮まります。

 

類は友を呼ぶ。

井の中の蛙大海を知らず。

見たいようにしか世界を見ない。

集団極化現象。

名称はさておき、自分が圧倒的に正しいと感じ出したら危険信号ではないかと私個人は思います。

 

そうならない為に必要なことの一つには、自身が別の環境に身を置くことがあります。

しかし、それが簡単にはできない場合、どうすれば良いか?

それは、自身とは価値観や状況の異なる他者との「情報のやり取り」、つまり、他者と「対話」をすることです。

「関係の質」が「仕事における結果の質」の第一歩であるとする「パフォーマンス・マネジメント」の考え方は、確かに、この状況の改善に役立つのです。

 

話がちょっと脱線しますが、人間、知らないことは恐いことだと感じやすいものです。

アメリカのエマーソンという思想家は「恐怖は常に無知から生じる」と述べています。

一方で、無知は傲慢な強さにもなり得ます。

知らないので、怖いことにすら気付かないのです。

 

この状態から脱却する為には「無知の知」である必要があります。

その状態で以ってして世界を見ることが恐怖を減らす鍵になります。

 

色眼鏡を外して純粋な世界を見よう

 

さて、話を元に戻すと、「関係の質」を上げるにはどうすれば良いか?

まず「無知の知」を認識し、その上で相手を尊重し傾聴する事が大事です。

 

そうすると、今まで見えて来なかったものが、今まで否定してしまった事象が、今まで色眼鏡を掛けて見ていた世界が、姿形を変えて現れるようになります。

 

黒色だと思っていたその色が、実は赤と青と緑が混ざったものだと知るかもしれません。

今まで否定されていただけだと思っていた内容が、実はやり方を変えればOKだと言われていたことに気付くかもしれません。

 

その世界に出逢う為に僕らがやることは一つ。

 

僕らが出逢う人との関係の質を上げることです。 

そのためには、僕らは傾聴する姿勢を持つことが必要です。

そのためには、僕らの掛けていた色眼鏡を外すことが必要です。

そのためには、僕らは「知らない」ということに気付くが必要ことです。

 

それだけで、僕らの目に見える世界はより色鮮やかに姿を変えるのではないでしょうか。

新規事業に携わるようになり大事だと思う10のこと。

こんにちは。nkyutです。

 

今日は、IT企業で新規事業に絡むようになって早10年近くが過ぎ、そこで仕事を進めるために大事だと感じたことを軽くまとめておきたいと思い文字にしてみました。

 

新規事業に携わるようになり大事だと思う10のこと

1. 心身を常にクリアに保つこと

2. 感謝と謝罪はすぐにきちんと行うこと

3. ビジネスモデルを根本から理解すること

4. 判断軸はブラさず、その場に応じ素早く行動すること

5. 自分は常に初心者であると思うこと

6. 多種多様な価値観に触れ、それを受け容れること

7. 感情も理論もどちらも必要だということ

8. 情報やコミュニケーションを円滑に回すこと

9. 事前の調整や根回しは必要悪であるということ

10. 最優先するべきステークホルダーは「社会」というお客様であるということ

 

こうやって見ると、「当然じゃん」と思うようなことばかりですが、その「当然」を当然のこととして行動できることが重要なのだと日々思い知らされます。

では、簡単に一つずつまとめてみます。

 

1. 心身を常にクリアに保つこと

新規事業を立ち上げようとすることは、挫折と反発と急変がいつでも襲って来る混沌とした作業になります。

ゲームのように「この扉を開けたらゾンビが出てきそうだな。よし、いっちょ準備を整えておくか」というような状況ばかりではないのです。

むしろ、「マジか。こんな些細ななんの変哲も無い小径にさえもトラップがあったのか!!」というようなことばかりです。

小慣れて来ると多少はそのトラップにも気付きやすくなったり、事前に察知したりするようになりますが、万事が万事そうもいきません。

つまり、運用フローやマニュアルが整備されているようなルーチンワークよりも新規事業を立ち上げる際の緊張感は強く、ストレスが大きい状態が平常であると言えるのではないでしょうか。

その中においても、正しく物事を判断することが求められるので、まず頭と心を強く保ち冷静でいることが大事です。

加えて、突然の事態に対応できるよう常に元気でいることも求められます。これが結構大事な要素だったりすると個人的には思います。

健全な精神は健全な肉体に宿るという格言よろしく、風邪をひいたりしている中で最高のパフォーマンスを出すことはなかなかに難しいことです。

つまり、「風邪をひかない」という一見当たり前なことも案外に重要なスキルになります。

そう、体が資本というのは言い得て妙だということだと僕は思います。

 

2. 感謝と謝罪はすぐにきちんと行うこと

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺がありますが、自身が会ったことのあるエグゼクティブな方々は、誰もが誠実な方ばかりです。

「ありがとう」を誰に対しても公平に伝えます。「申し訳ない」と率先して謝ります。

これができることは、きっと上に立つために必要不可欠な要素なのだと思います。

「そういう人の為だからこそ多少苦しくとも頑張れる」と配下の人が思うのでしょう。

やはり動かせる人数が多ければ多いほど、事業も大きくなります。

「会社は社長の器で決まる」という言葉はきっとこういうことも一つの要素として含まれているのだろう、と私は考えています。

そして、もう一つ。

新規事業などをやるという人は、社内外問わず案外限られています。

あるプロジェクトが終わり、もうそのメンバーと会うことはないだろうと思ったところで、次のプロジェクトでも結局はその人たちと再び出会うということはままあることです。

だからこそ、遺恨を残しては自身にとって損です。どうせならば、またあの人と一緒に仕事をしたいと思わせた方が自身にとってプラスに働くことが多いのです。

そう、「情けは人の為ならず。自分の為である」ということ。

それに、誰だって感謝されたりきちんと謝罪をしてもらえれば、自分のことを認めてくれたと実感できて嬉しいものですよね。

そうやって、頼れる人脈や頼られる自分になることで、仕事の幅も質も格段に上がります。

感謝と謝罪。大事です。

 

3. ビジネスモデルを根本から理解すること

これまた当然のことですが、ビジネスモデルをきちんと理解しなければいけません。

 理解するためのフレームワークというものは色々とありますが、自分としては「ヒト・モノ・カネ」を抑えることが根本だと思います。

その点で「ビジネスモデルキャンバス」は単純明快化できるので便利だと思います。

ただ、それは入り口に過ぎず、社内外問わずどういったステークホルダーがどのような思惑で存在しているのかは言うに及ばず、法規制や広義の意味での競合など微に入り細に入り理解しておくことが重要です。

また、新規事業というと立ち上げにだけ目が行きがちですが、「ビジネスの継続」という観点も忘れてはいけません。

つまり、言うまでもなくキャッシュを認識することが非常に大事です。

ですが、ビジネスモデルを根本からきちんと理解できていないと、想像以上にキャッシュを必要とし、いつの間にか枯渇寸前なんてことにもなるかも。

そんなことにならないように、頭の中で様々な事柄の関係性を思い描けるようになる必要があるのがビジネスです。

そして、(4)へと続くのです。

 

4. 判断軸はブラさず、その場に応じ素早く行動すること

判断軸。これがなかなかに難しいものです。

そして、さらにはそれを揺るぎないものにするとなると、それはそう簡単にはできません。

しかし、多種多様な情報から決断をし、行動しなければ物事は前には進みません。

その為に、判断軸が必要となります。

その軸を設定する為にも(3)に述べたビジネスモデルの理解が必要不可欠です。

その理解がなければ、圧倒的に誤った行動を取っていても気付かないことすらあるからです。

圧倒的に誤っていなくとも、軸がユラユラしていると、あっちにこっちに行ったり来たりしてしまい遠回りをする、もしくは、目的地に辿り着けないという可能性すら出てきてしまいます。

なので、迷った時の指針はしっかりと持とう。

そして、それに従って素早く動こう。

今の世の中、情報は簡単に伝播し、特にデジタルの事業であれば、より簡単に模倣されてしまいます。

なので、正しい行動を取るだけではなく、「速く」ということも大事です。

繰り返します。速く、かつ、正しい行動を取ること。それが大事なことなのです。

 

5. 自分は常に初心者であると思うこと 

そう、慣れるな、ということです。

慣れはいつしか舐めるに繋がります。

舐める。つまり、侮ることです。慢心してはいけません。

そもそも新規事業に慣れなどは存在しません。いつだって、新しい状況が生まれて行きます。

新規事業では、似たような状況を経験することはあったとしても、あくまで似た状況であり、完全一致ではありません。

似たような状況なだけなのに、完全一致と勘違いして以前と同じだからと高を括り、その時と同じ行動を取ってしまうと手痛いしっぺ返しを喰らう可能性が有ります。

数学の公式ようなもので、あくまでも公式を利用しつつも、その時々に適した数値を入れなければ正しい解は導かれないのです。

そう、一つでも代入を間違えれば、出した答えは不正解です。

だからこそ、自分自身を過信しないよう、「初心者」であることを意識しておきましょう。

ただ、「初心者」である自分に甘んじてはいけません。

あくまで気持ちとしての意味合いです。知見はプロフェッショナルである必要があります。

この「気持ちは初心者だけれど、知見はプロフェッショナル」という相反する自分を心の中に飼っておこう。

ちなみに、時たま「知見は初心者だけど、気持ちはプロフェッショナル」という人に出会うことがあります。いわゆる「知ったかぶり」という彼です。

知ったかぶり、ダメ、絶対。

 

6. 多種多様な価値観に触れ、それを受け容れること

自分を初心者であると思えば、どんな意見にも触れる価値があると思うはずです。

そして、そのような価値のある意見は受け容れることができます。

ただ、受け容れるといっても鵜呑みにする訳ではありません。

受け容れた後に、それをどう取捨選択し、どう活用していくかがプロフェッショナルとしての自身の行うべき作業です。

料理人であれば、料理に必要な卵は手に入れた。

さて、この卵をどう調理するか。それが腕の見せ所なのです。

そもそも、この卵は料理に使っても良いものなのか。もしかしたら、腐っているものではないのか。もしかしたら、毒なのかもしれない。もしかしたら、盗品かもしれない。

そうやって考え、どうアレンジするかが自分の仕事です。

それでも、卵は手に入れておいて損はありません。

腐った卵だって、もしかしたら、敵に向かって投げつけることで役立つ金の卵になるかもしれませんしね。

 

7. 感情も理論もどちらも必要だということ

二項対立ではなく、両立しなければいけないことというのは、世の中に多々あります。

新規事業を進める上でもそれは当然に言えることです。

例えば、どうしても意見の対立が生じてしまい、二進も三進も行かなくなってしまった。さて、この状況で、情に訴えるか、理論武装で進めるか。

経験から言えば、二兎追いましょう、ということです。何か一つだけでうまく行くということは、きっと存在しません。

情も理論もどちらだけでもどこかで綻びが生じ、妥結点を見つけなければ、物事は瓦解します。瓦解しても良い案件でないならば、とにかく支点を探そう。

つまりは、何事もバランスだということです。

そして、その支点を探すために必要となることは、全体を俯瞰できる視野と視点です。

そのためには、物事をどこまで大きく捉えることができるか、どれだけ適切に状況を認識できるかということも重要になります。

そのためには、多種多様な情報がなければいけません。

多種多様な情報を得るためには、一次情報と二次情報の双方を入手する必要があります。

そのために必要なものが、自分が頼れる人脈だったりするのですよね。

おや、どこかで聞いたような話にまで飛んでいったぞ。

 

8. 情報やコミュニケーションを円滑に回すこと

チームとして機能するために重要なこととして、これも当たり前だけれど、情報を適切に行き渡らせることが大事になります。

では、「情報」とは何か?

辞書によると「ある特定の目的について、適切な判断を下したり、行動の意思決定をするために役立つ資料や知識」とありました。

うん、ここに全てが集約されている気がするぞ、と。

逆に言うと、情報がなければ判断はできないのです。それは、判断を下した人の判断がどうしてそのような内容になったかを示すものでもあります。

つまり、納得して行動するためには情報が必要不可欠なのです。

そして、そのような情報をきちんと伝える、適切に集めるために必要なものが円滑なコミュニケーションです。

では、「コミュニケーション」とは何か?

これも辞書によると「社会生活を営む人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達」とあります。

うん、これもここに集約されている気がするぞ、というやつです。

つまり、円滑な伝達ができる状態を作ることがマネジメントとして、いや、人間として行うべきことだということです。

それがなければ、情報が伝わらないのです。

だからこそ、組織として成果を出すために僕らはコミュニケーション能力をあげる必要があるのではないでしょうか。

ただ、個人として成果を出すために、必ずしもコミュニケーション力が必要となる訳ではないので、その点が難しいところでもあるのかもしれません。

 

9. 事前の調整や根回しは必要悪であるということ

これもコミュニケーションの一環だけれど、敢えて切り出します。

事前調整と根回しは必要悪です。

僕はそう思っています。

正々堂々とぶつかっていけよ、と思われるかもしれませんが、正々堂々とぶつかって華々しく散っては元も子もありません。

ビジネスパーソンである僕らが目指すべきは「成果を出すこと」です。

成果を何と置くかは人それぞれだと思いますが、いずれにせよ成果を出すためには、時には迂回をしなければ難しいこともあります。

逆に言えば、鵜飼をすれば成果を出せるならば、そうしない方が怠慢であると僕は思います。

でも、倫理や法に反すること、人間としての尊厳を傷つけるようなことはしちゃダメです。

ルールを守った上で、成果を出す。それがビジネスです。

 

10. 最優先するべきステークホルダーは「社会」というお客様であるということ

では、最後です。

「成果を出す」とは何か?どういう状態なのか?

僕は「お客様が幸せであること」と考えています。それも「社会」という名の定義がしにくいお客様です。

これは非常に難しいことで、最大公約数の問題になると思います。

つまり、マジョリティとマイノリティの問題に関わってくるのです。

物凄く雑に言うと、「100人中99人が幸せだが、唯一1人だけは圧倒的に地獄の業火に焼かれるような不幸せな状況を作っていいのか?」ということになります。

しかし、これはおかしい。僕は、そう思います。

僕としては、そんな1人がいたとしたら、自分は平穏な気持ちで幸せを心から享受することは出来ません。きっとそんな人が多いのでしょう。

そうなると、世の中というものは51人の幸福と49人のそうでもない人に分けられるような気がします。

もしかしたら、49人の幸福と51人のそうでもない人なのかもしれませんが。

ただ、いずれにせよ、その中でどれだけ幸福な人を増やすことができるかが会社などの存続意義になるのではないかと考えています。

しかし、実際には、独裁や2:8の法則などと言われるように、最大公約数ではなく、最小公倍数が世の中の原理なのかもしれません。

でも、幸せになる人が多い方が良いじゃないですか。笑顔が増える世の中の方が素敵じゃないですか。

僕はそう思います。そのための新規事業に、僕は従事したい。

つまり、僕の判断軸は、「お客様にとって幸せなことか否か」なのです。

 

 

なんて、妙なテンションの中、最後にもう一度まとめます。

 

新規事業に携わるようになり大事だと思う10のこと

1. 心身を常にクリアに保つこと

2. 感謝と謝罪はすぐにきちんと行うこと

3. ビジネスモデルを根本から理解すること

4. 判断軸はブラさず、その場に応じ素早く行動すること

5. 自分は常に初心者であると思うこと

6. 多種多様な価値観に触れ、それを受け容れること

7. 感情も理論もどちらも必要だということ

8. 情報やコミュニケーションを円滑に回すこと

9. 事前の調整や根回しは必要悪であるということ

10. 最優先するべきステークホルダーは「社会」というお客様であるということ

 

お粗末様でした。

「漠然とした不安」について本気出して考えてみた。

こんにちは、nkyutです。
 
今日は仕事や研修を通じて考えたことをツラツラと書きたいと思います。
 
お題は「漠然とした不安」というもの。
 
なぜそれについて書こうと思ったのか。
それは、自分自身が感じているというよりも「プロジェクト内に漠然とした不安が存在しているのではないか」という話を聞くことが増え、ではそれをどうやったら解消できるのだろうかと考えようと思ったから。
 
自分は、決してその道のプロなどではなく、ただの実体験に基づいたお話なので、全く共感を得ない可能性などがありますが、あくまで自分の頭の整理のために留めておきたいと考えました。
ちなみに、そんな自分のお仕事はIT企業でのビジネス企画や新規事業企画をちょろっとやってる程度のいわば未熟者です。 
だからこそ自身の意見を整理し、皆様のご意見を伺いたいと思った次第です。
読んでくれている人がいれば、の話ですが。
 
さて、以下に本文を書きます。
 
その前に、自身の頭の中の言葉遣いなため、口調がぶっきらぼうなことを謝罪しておきます。
 

漠然とした不安

「漠然とした不安」という言葉がある。
「よくはわからないが、社内に漠然とした不安が蔓延している」だとか「自分の将来に漠然とした不安がある」だとかいう際に使用される言葉。
 
「漠然とした」という言葉が漠然とし過ぎており、さらに「不安」と来るからさらに漠然とする。
そういう言葉だからこそ曖昧模糊っとして、多くの人の思考を停止させる魔法のワードと言える。
 
そして、「漠然とした不安」は「漠然とした不安」と解釈されると、一気に解決すべき課題としての対象ではなくなる。
なぜなら、具体的な課題が定義されないから。
定義されない課題は存在しないものと同義なのかもしれない。
 

不安とは何か?

では、そもそも「不安」とは何か。
それについて考えたい。
 
そのためには「不安」という言葉をきちんと定義し、認識する必要がある。
 持論だが、「言語化すること」が課題を捉えるために必須の技術だと考えている。
だからこそ、僕はこうやって文字に書く。
 
さて、「不安」は「悩み」と似ているけれど、「不安」は「悩み」ではない。
 
「悩み」は悩むに至った何かしらの原因がある。
つまり、過去の事象の延長線上である現在において発生している。
そして、それがために苦痛や心労を受けている状態と言える。
 
他方、「不安」は未来に対して感じるものであり、将来の未だ起こっていないことについて現在の時点で気にかけている状態、言うなれば不確実な未来に対しソワソワとしている状態だと言えるのではないだろうか。
 
例えば、「注文伝票で一桁多く書いてしまったので、上司にバレないか心配だ」という男性がいるとする。(全く関係ないけれど、この状況が上司にバレない訳がない)
さて、そうした場合、句点の前半に記載している「注文伝票で一桁多く書いてしまった」のは過去のある時点で起こしてしまった事象であり、言うなれば「悩み」である。
これが、「注文伝票に一桁多く書いてしまった<かもしれない>ので」となると話は別だが、今回は「書いてしまった」という事実があるので、過去の凡ミスへの悩みだと言える。
そして、句点の後半である「上司にバレないか心配」という点においては、未だ「上司にバレて」はいない(もしくは、バレたことを知らない)ので、これは過去の事象に起因し、未来を想像しソワソワしている状況である。
 

不安の無限増殖

しかし、解決すべき対象ではなくなったところで、その問題そのものは存在する。

むしろ、それを認識したタイミングで対処しなければ、不安が不安を呼び不安の連鎖が発生し、不安が無限増殖する可能性すらある。

 
例えば、深夜25時の自分以外誰もいない暗がりの自室。
たいていの大人であれば、そこで何者かが、要するにオバケだったり幽霊だったりという類のものが出てくるというのは想像しないだろうが、ちびっこはそうはいかない。
ちびっこの豊かな想像力からは、ベッドの下からオバケが出てくるのではないか、クローゼットの中から凶悪なモンスターが出てくるのではないか、そんなことを考えてしまい、一度考えたが最後、連鎖発生的に恐ろしい考えが浮かんでくる。
そして、このちびっこは最終的にパパかママ、もしかしたら、お兄ちゃんやおばあちゃんに救いを求めにくるかもしれない。不安の無限増殖だ。
大人は経験からベッドの下にオバケがいることを知っているし、クローゼットの中がモンスターズインクに繋がっていないことも知っている。
しかし、知っているだけで、それは確実なものではない。
もしかしたら、ベッドの下に色の白い子どものオバケがいるかもしれないし、クローゼットを開けたら青色の大きなモンスターが出てくるかもしれない。
ただ、人生経験上、一度もそれを経験していない。だから、そこに不安を感じることが少ないのだろう。
なお、筆者である僕は未だに想像力豊かな方であり、暗い部屋は苦手で、お化け屋敷には絶対に入らないということを伝えておこう。
 
つまり、不安は不安を呼び起こす種になり、一度根付くと大きくなってしまう可能性があるものだということだ。
そして、それが「漠然とした不安」となり押し寄せてくるのではないだろうか。
 

漠然とした不安を和らげる

この「漠然とした不安」は根治することは無理だとしても、和らげることはできるはずだと僕は考える。
 
なぜなら、子どもの時に感じていた不安の一つである「ベッドの下にオバケがいる」という不安は、いつのまにか消えているから。
 
では、どうして「ベッドの下にオバケがいる」という不安が消えたのか。
(ちなみに、僕自身としては不安は消えておらず、弱まったという感覚の方が正しい)
 
不安が消えた理由の一つは「経験しなかったから」ということがあげられる。
つまり、「ベッドの下にオバケがいない」ということを「経験した」=「知った」のだ。
「経験」は過去から得ることのできる「知識」だ。
 
そして、二つ目の理由が「諦めがついた」ということなのかもしれない。
ベッドの下からオバケが出てきても「自分にはどうしようもないことだということを知った」のだと思う。
つまり、「諦める」=「執着しないこと」で不安が解消、もしくは、和らいだのだと思う。
 
余談だが、「諦める」という言葉は「明らむ=明らかにする」が語源ではないかという説を聞いたことがある。
つまり、「明らかにすること」で「執着をなくすこと」ができるのかもしれない。
 

以上のように「漠然とした不安」に対しては「1.知識を得ること」「2.諦められるようにすること」が重要ではないかと考える。

 

漠然とした不安を持つ人を邪険にしない

さて、次に「漠然とした不安を持つ人」をいかに救うかという点に移りたい。

その前に、そもそもに「漠然とした不安を持つ人」を不満を持ってはいけないのではないかと考える。

「漠然とした不安」を持つ人は「不安」という性質は先述した通り「未来のことを考えている(もしくは、考え始めた)人」ということに他ならないからだ。

 

そういう人を邪険に扱うことは、プロジェクトなどにおいては極力避けた方が良い。

なぜならば、「漠然とした不安を抱える人」は、少なくとも「未来のことを考えている人」であり、その目には自分には映っていない未来の景色が拡がっているかもしれないからだ。

 

未来は誰にも予測できない。だからこそ不安が発生する余地がある。不安は未知に対して存在する。

未知のものならば、誰も知り得ることはなく、さらにそこには複数の可能性が隠れており、複数の可能性を一人で全て考え尽くせると考えるのならば、それはただの傲慢に過ぎない。

 

そして、ビジネスとしてもう一つ言えることは「社内など関係者内の不安を解消できない人が、どうしてお客様の不安を解消できるのか」ということだ。

関係者の方がお客様に比べればまだ動かしやすい。それすらも動かせないようならば、動かし方が間違っているのかもしれないと思った方が良さそうだ。

 

「漠然とした不安を持つ人」は、もしかしたら救世主かもしれない。

それくらいの心意気で接してみてはどうだろう。

 

漠然とした不安を持つ人を救う:知識を与える 

漸くここで「漠然とした不安を持つ人」を救う具体的な方法を考えたい。

その解決策の一つとしては、知識・情報を持っている人が持っていない人に与えてあげれば良いということだ。

言うなれば「啓蒙活動」ということになるだろうか。

 

しかし、この「啓蒙活動」というものは仕事においてはすぐに成果に直結するものではなく、仕事においては大変面倒なものだと言えるのではないだろうか。

だが、不安を持つ人をそのままにしておくと、不安が不安を呼び不安が蔓延する環境になり、最終的に自身が動きにくくなるということになると思われる。

いわば「情けは人の為ならず」であり、知識・情報を持たない人を助けておくと、巡り巡って自分に返ってくると思われる。

例えば、「その情報は知らなかったが、自分の仕事に大きく影響する」「言ってくれれば無駄な作業をする必要もなかったのに」などという経験をしたことがある人、見聞きしたことがある人は多いのではないだろうか。

そして、「そんな情報が必要だったの?」「そんなことも知らなかったのか」などという経験をしたことのある人もいるのではないだろうか。

ここに知識や情報の差がある。

自分には必要のない知識・情報だとしても、誰かしらの役に立つことがあるかもしれない。

逆に、自分には必要な知識・情報だけれど、他人からしたら不必要な内容であることがあるかもしれない。

そんな時に知識・情報を相互に伝え合う・教え合う関係や文化を構築しておけば、きっと効率は格段に上がるだろう。

 

さらには「啓蒙活動」については「noblesse oblige」であるとも思う。

現在は格差社会だ。

特権階級や貴族という訳でなかったとしても、持つ者は持たざる者を助けた方が良い。

貧すれば貪するというように、貧困は悪を生む。悪は自分の身を脅かす。悪に触れないためにも先の「情けは人の為ならず」ということで、持てる者は義務を果たすべきだ。

そして、格差の対象は富だけではなく、情報でも発生している。

それは決して社会的な高齢者と若者のITリテラシーの格差のみならず、会社の中にも存在する。

知識・情報を有する者は有しない者の気持ちを忘れる。もしくは、想像できなくなる。持たざる者が何を必要としているか見えなくなる。

そして、持たざる者には知識・情報が集まらず、結果、仕事ができなくなる。できたとしてもスムーズに進まなくなる。そうすると、持たざる者は仕事を任せてもらえなくなる。そして、格差はさらに拡がる。

お金の論理と同じだ。集まるところに集約され、一極集中となる。

その後、何が起こるか。

独裁、そして、革命だ。

最後にはゼロからのスタートが待っている。

そうならないように、現代の富裕層は寄付を行い「noblesse oblige」を実践している。(税金対策という話は置いておこう)

我々も情報を分け与えることをすべきではないのだろうか。

 

漠然とした不安を持つ人を救う:諦められるようにする

「漠然とした不安を持つ人」を救う具体的な方法の二つ目として「諦められるようにする」ということもあるのではないかと思う。

これはある種解決することを放棄する考えに見えるかもしれない。

しかし、世の中にはどうしようもないこともある。

例えば、夏の沖縄に自然と雪を降らせる力は現代の人間にはない。

例えば、1秒で宇宙に行く方法も今のところない。

そういう大きな類だけでなく、どうしようもないことというのはそこらへんにゴロゴロ転がっている。

そんなどうしようもないことに時間や労力を費やしても、それは無駄にしかならない。

それならば、どうにかなることに目を向けてあげた方が建設的というものだ。

そのためには、「自分(もしくは、自分たち)ができること・影響を及ぼせるもの」を知る(もしくは教える)必要がある。

 

漠然とした不安を未来の糧にする

最後に、漠然とした不安を未来の糧にすることができるのではないかということを考えたい。

「漠然とした不安」は上記の通り「不確実な未来」から発生するものである。

それであれば、少しでもその不確実性を排除してあげれば良いのではないだろうか。

例えば、「プロジェクトを成功させたいが、どこか漠然とした不安がある」などという話の場合、そもそものプロジェクトの将来像を示してみればいい。

そして、その将来像に沿ったアクションプランを提案してみてはどうだろうか。

仕事において具体的な目標が見えると、人間はその目標に向かって歩き出す。どうやって今ある課題を解決しようかと考える。どうにか目標を達成しようと動き出す。

「漠然とした不安」を打開するには「考えられうる未来」が必要なのかもしれない。

それは、「ビジョン」という言葉に置き換わることもあるだろう。

「私はこうやるんだ」「俺たちはこんな未来を創りたいんだ」そう考え、それを伝える、もしくは、実践していく。

それだけで「漠然とした不安」は多少は和らぐように思える。

つまり、「漠然とした不安」は「未来を考える、そして、未来を創るチャンス」だと言えるのかもしれない。

そのチャンスを無碍にするか、有意義なものにするか。

せっかくならば有意義なものに僕はしたい。

 

まとめ

  • 「漠然とした不安」は多くの人の思考を停止させる魔法のワード
  • 「不安」は「悩み」と似て非なるもの
  • 「不安」=不確実な未来に対し現在の時点で気にかけている状態
  • 「悩み」=過去の事象の延長線上である現在において発生し、それがために苦痛や心労を受けている状態
  • 不安は不安の連鎖を発生させ、無限増殖する可能性すらある
  • 「漠然とした不安」に対しては「1.知識を得ること」「2.諦められるようにすること」が重要
  • 漠然とした不安を持つ人を邪険にしてはいけない
  • 漠然とした不安を未来の糧にする努力を怠らない
 
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)